Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(82ー8)(私家版)

彼は苦行を放棄する時、子供の時にりんごの樹の下で、初禅に入ったのを思い出した。彼は、この種の初禅の境地は、過患のない楽しみで、この種の楽しみはレベルを上げていく事ができる(と考えた)。そして、彼は、安般念の修行を開始し、初禅、ニ禅、三禅、四禅と入って行ったのである。聞くところによると、安般念は、菩薩であれば、仏になる前、誰でも一度は必修の法門であるそうである。菩薩が6年もの間、苦行を実践してのは、原因がある。  迦葉仏の世の時、彼は婆羅門であった。インドは4個の階級に分かれているが、婆羅門は最高位で、最高位であるが故に、慢心が重い。彼の友人は最下層のシューダラで、既に三果阿羅漢であり、聖者であった。ある日、この友人が、菩薩を誘って迦葉仏に会いに行こうとした。菩薩は婆羅門の出である為、傲慢自大、言ってはならない一言を口にして、口業をなした。「ハゲ頭の人間でも無上正等正覚の境地を証せるものか?」しかし、迦葉仏は、確実に已に無上正等正覚の境地を証していた為、菩薩は口業を造したのである。彼の友人は、焦って、菩薩の服の端を引っ張って、彼に迦葉仏に会いに行くよう促した。菩薩は考えた。彼はシュードラであるのに、私の服の端を引っ張る勇気があるなんて。その行為の中に、どうしても言いたい事が含まれているに違いない。故に、彼は迦葉仏に会いに行く事にした。結果、最終的に彼は仏教徒になった。しかし、業は已に造されたのである。この口業が原因で、彼は仏陀になる前の、最後の一世の、シッダッタ太子であつた時、出家して6年苦行する事になってしまったのである。というのも、この6年間の苦行は、彼が前世でなした口業の結果であるが故に。故に、仏陀は言う:「我々の口の中には斧が隠されている。気をつけなければ、先に己自身が傷つく」と。