潜在的傾向は、因と縁が具足した時、出現する。経典に以下の様な話がある。。 マハナカと言う長老がいて、彼はひたすら静かに止禅と観禅の修行をしていた。60年間一度も煩悩が出現する事なく、己はすでに阿羅漢を証したのだ、もう精進する必要はない、と思っていた。彼の弟子に、ダンマディンナと言う人がいて、すでに阿羅漢であった。彼は師が阿羅漢でない事を知っていたので、師に進言しようとした。ある時、ダンマディンナは、「先生、あなたは神通が出来るでしよう。大きな象を一頭出せますか?」と言った。マハナカは、「問題なくできます」と言い、神通を使って、大きな象を一頭出した。彼の弟子は言う「先生、この象を、神通を使って、私達に向けて走らせてください」。この大きな象が彼らに向かって走って来た時、マハナカは突然恐ろしくなって、逃げ出した。ダンマディンナは、師の袈裟を掴んで、「阿羅漢なのに、まだ怖いものがあるのでしようか?」といい、これを聞いた長老は、己が阿羅漢でないことに気がついた。潜在的傾向は潜伏した煩悩である。因と縁が具足せずに、あなたが試される事のない時、潜在的な煩悩は浮上しない。長期的にこな様であれば、我々は、己には煩悩がない、と思い込んでしまうのである