Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(84ー11)(私家版)

(4)観成就(観神足):観を成就の法とするもの。観は智慧である。智慧は、輪廻の苦痛、地獄の苦痛を知ることができる。もし、智慧を有して、苦痛を了知するならぴ、修行に精進したいと言う心が生まれる。我々一般人は、智慧がない為、輪廻や地獄の苦痛を知らず、その為に修行に精進しない。観神足は、奥深い法を了知する事ができる。奥深い法とは、12因縁法、四聖諦、無我等を指す。。。。。。         すべての宗教は、私は有る、創造者はいる、と教えるが、仏教だけは、無我を言う。。。。                 これらを了知する智慧は、我々が出世間に到達する為の基礎となる。。。        私がアメリカで【10日禅の会】を主催した時、ある一人のアメリカ人が、非常に長い手紙をくれた。彼は、30年前に定の修行を始めた時に、非常に強い光を見、かつ、自分の見るもの全てが透明に見えた。光は3、4日持続し、食欲もなかった(禅悦を食とした)。全く眠れず(定力の強い人は2、3時間眠れば足りる。仏陀は一時間ほど眠れば足りた。)、一個の我もない、という体験をした。。。。           その時、彼は少し怖くなり、何かの間違いではないか?と疑った。そして、あちらこちら人に聞いて回ってが、相談した相手は、経験のないアメリカ人の為、皆彼が精神錯乱を起こしたのだと言い、本人もその様に理解し、結果、精神病院に入院した。。                  彼は「無我」を体験した時、それを「一個の我さえもない」と言う言い方で、周囲に説明したが、その説明は、アメリカの文化では受け入れられる事はなく、故に、多くの人々によって、彼は、精神病患者にされてしまったのである。