Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(84ー21/22)(私家版)

仏陀は、苦集滅道を解説する時、先に苦の原因を解説する。というのも、衆生は、三界の中において、ただひたすら楽を享受したい、欲界、色界、無色界の楽しみを享受したいと願い、生老病死の苦痛を忘却しているからである。故に、仏陀は先に苦を教え、彼らが生命の実相に回帰して、恐怖心を生起できる様にする。。。         (仏陀が)その様にするのは、(衆生は)楽しみが多すぎると放逸になり、失念するが故に。。。。             次に集諦を教える。苦痛には来源があると、説明する。彼は衆生に教えて言う:「苦痛は、決して創造主が造り出したものではない。」。。。。。             というのも、創造主が人類に:「あなた方は生まれながらにして罪悪である。」と宣うので。アメリカでは、非常に多くの人々は、この種の思想を受け入れる事ができず、その為にキリスト教、天主教を放棄している。この種の思想を注入されて後、人々に、己を憎悪する心理状態が起きる。仏陀は創造主を否定するし、又、因・縁はないとする説も否定する。彼はわれわれに教えて言う:「人生は苦である。しかし、苦そのものは、来源がある。因縁和合して生じるのである。」苦滅聖諦に関しては、仏陀は、苦及び苦の来源を説明した後、我々を安心させてくれる:「苦は消滅させる事ができる。ただ涅槃を証すればよい。」故に、仏陀は滅諦を説明した。即ち、苦の止息てある。苦の滅に向かう道聖諦においては、彼は敢然と我々の為に、一本の道を示してくれた、即ち、八聖道である。八聖道を歩み終えることができたならば、一切の苦から解脱する事ができる。   苦・集・滅・道(苦、苦の来源、苦の解脱、苦の出口)の教えは、我々に、以下の様に言う:「一切は全て因縁和合である。実際には、我と言うものはない。ただ苦のみが、存在している。苦の受者はいない。」。仏陀の経典では、二句に短縮して言う:「私が教える法は、純粋に、ただ、苦と苦の息滅のみを言う。」。。。この句は非常に重要である。仏陀は、決して、我、あなた、彼、衆生、人とは言わない。時には、説法を分かりやすくする方便として、彼も又、あなた、我、彼とは言うものの、それは、衆生が理解しやすくする為の方便であり、この様な表現を借りて、究極諦の話をしているのである。もし仏陀が、我々に対して、いきなり究極諦の「無我」を説いたならば、非常に多くの人々は、それを受け入れる事が出来なし、発狂する人さえいる。というのも、衆生は、「私(自我)」に対する執着は、非常に根深いものがあるが故に。