南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(84ー23)(私家版)

故に、仏陀は、巧みな技でもって、先に世俗諦(人、我、彼……)を使い、衆生と疎通する方便とした。衆生の心に法が浸透した後、彼は初めて、これらの世俗諦は真実ではない、と解説したのである。実際に存在するのは、「因縁生、因縁滅、ただ苦と苦の息滅のみがある」。。。。。。。。。。           経典に以下の様な話がある。ある外道が仏陀に尋ねた):「我というのはあるのですか?この私は、存在するのでしようか?しないのでしようか?」。。仏陀は沈黙して答えない。彼は再び尋ねる:「我というのはないのですか?」仏陀は沈黙して答えない。彼は又尋ねる:「私というのはあるのてすか?」仏陀は沈黙を通し、外道は頭をフリフリ去って行った。この時、傍らにいたアーナンダ尊者が尋ねた:「なせ、世尊は、はっきり答えて上げないのですか?」仏陀は言う:「彼の様な、『我(私)』に対して非常に強い邪見を持つ人に、もし『我』はないと告げるならば、彼は正常な心理状態を失う(精神病になる)。彼は未だ無我を受け入れるレベルにはない。」仏陀は、我々に、仏法の最も深い奥義を教えたいと思うものの、しかそ、我々の智慧が、未だ彼の話した法のレベルにはない場合、彼はそれを話さないのである。もし彼が話したとして、我々の困惑が増すだけであって、我々に益はないのである。これが彼の巧みな方便である。仏陀は巧みな医師のさまである。あなたが病を訴えると、彼はあなたに言う:「あなたは病気だ。病原はこれこれである。私の薬を飲みさえすれは、その病は治るであろう。」仏陀は我々に言う:「あなた方が病気の時、この病は、愛欲、執取から来ている。この病は、治す事ができる。」そして、八聖道の処方箋を書いてくれる。飲むか飲まないか、あなたが決める。