Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『智慧の光』(3-18)<K氏依頼分>

(原稿P9)ある種の哲学者は、有分心を潜在意識、又は無意識と言う言葉に訳している。《アビダンマ》ではこの様な解釈とは異なる。と言うのも、それは以下の様に言う:catubhāmaka citta@hi novijiānanalākkhnaoa@ nāma natthi.ママーーすべての(欲界、色界、無色界及び出世間界)におけるこの四界の中に出現する心の中において、どれ一つとっても目標を識知しないものはない。では、有分心とは一体何であるか?それはどの様な今世の目標をも取らず、ただ、前の一生の臨終速行心(maraoママasanna javana)が縁として取った所の目標、即ち業(kamma)、業相(kammanimitta)、趣相(gstinimitta)の三者の内の一を、目標に取るのである。。   我々は、それが今生の目標を知らないと言う理由で以て、それを無意識と呼ぶ事は出来ない。。……………………………………………………………… とまれ、人がそれをどの様に呼ぼうとも、もし、あなたが心を平静にして、入出息似相に対して、一時間又はニ時間又は更に長い時間、専注する事ができるならば、この時の禅相の光は非常に明るくなる。禅修行の心によって、その光は身体の四周に向け、発光して照らす。もし、この光の力を借りて、心臓の中の心所依処ーーpabhassaramida@bhikkhave@cittaーーを識別するならば: “ 比丘たちよ。この心は非常に明るい。“ (《増支部・一集》)ーーこの様に、明るく輝く有分心を見る事ができる。……………………………………………………  上記は、それの清らかな本質を述べているものてあるが、それは見た所、鏡の様である。もし、あなたが明るく輝く入出息似相を擁するならば、有分心を識別している時に、入出息似相は、鏡の様な有分心の中において出現する。この時、あなたははっきりと、明確に、五禅支を判別する事ができる。…………………………………………………………………… ★願以此功徳、早日証得涅槃楽!…………              緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属…………Paññādhika Sayalay (般若精舎)