★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(48-4)(私家版)
経に言う、もしも、信徒が比丘に供養する事によって、功徳を獲得する事が出来るならば、布施を受け取る者が破戒すれば、施主は大きな功徳を蓄積する事が出来なくなる。信施は無駄に流れ去ってしまう。唯一、円満な受施者を見つける事によってのみ、施主に大きな利益を齎す事が出来る。しかし、比丘は、毎日慈心を一弾指分の時間だけ修習するだけであっても、仏陀の教導を遵守し従っているのであり、信施を如法に受け取り、用いる事が出来る。。 慈愛は高貴な美徳である。戒徳が不足するならば、慈愛で以て補うべきである。供養を受けるには、未だ、比丘の戒徳が十分に円満でない時、彼に慈愛が充満するならば、供養者は大きな功徳を蓄積する事ができる。布施者に大きな利益を齎す事が出来るならば、慈しみの心の遍満した比丘が、食べ物を受け取るのは、無益な事ではない。慈愛を修習する比丘は、礼拝され供養されるに値するのである。