意識活動は、因縁法によって規制される~
仏陀は、遊行者に以下のように説明した:
あれら、意識は因と縁の規制を受けないと
考えている人たちは、当然、間違っている。
というのも、意識は、個人の行為によって
生じるし、また消滅もするからである。
仏陀は続けて言う:
一人の僧が、如何にして禅定(jhāna)、
初禅から無所有処定
(ākiñcaññāyatanajhāna)にまでに
入るのかを解説し、そのあとで、仏陀は、
それぞれの禅定について、一つひとつ、
個別に例を挙げて、説明した。
たとえば、ある僧が、初禅に到達した時、
彼の意識または思惟は感じ取れなくなるが、
それに代わって生起するのは、心の混乱
から遠く離れたことによって生じる喜悦
(pĪti)と安楽(sukha)である。
これが、意識が、禅定の努力の下で生じ、
また滅する状況である。
こういうことであるから、どうして、
意識の生起と消失には、因縁が関係して
いない、と言えるだろうか?
第二禅に入ったとき、尋(vitakka)と
伺(vicāra)の意識は消失し、代わりに
生起するのは、定(samādhi)による
喜悦である。
第三禅のとき、喜悦の意識は消えて、
静けさから生じる安楽があるのみ、である。
第四禅のとき、安楽の意識は消え、
静かになり、浄化された後に生じる、
無分別の感覚だけが残る。
(+ )(= )訳者。(つづく)
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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>