Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

翻訳『禅修指南』10-16(280/520)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

行と業有(=業)

縁起第五法の中において、已に説明したが、異刹那業力(nānakhaṇika kamma satti、すなわち、無明、愛、取、行によって取り巻かれている所の行の業力)によって、果報名色と業生色が生起せしめられる事を、智によって知見し、その後に因果を識別しなければならない。

1、囲繞行(āyūhanā saṅkhāra)は、いまだ業を造(ナ)していない前に生起する所の思である。すなわち、前思(purima cetanā=pubba cetanā)である。

たとえば:ある人が布施をしたいと思っているとして、その心(すなわち、前思)が生起した後、その人が、一か月または一年の時間をかけて物品を準備して布施をしたとする。

当該の物品を受者に布施する時に生起するのは、立思(patiṭṭhāpaka cetanā)であるが、これは業有と呼ばれる。

2、もう一つ別の説明方法:善または不善の業を造(ナ)している時に生起する所の多くの心路過程の中において、一つひとつの心路過程の前6個の速行相応の思は、行であり、第七速行相応の思は業有である。

3、もう一つ別の説明方法:一つひとつの速行刹那の中において、一切の善思または不善思相応の心と心所は皆、行である;一切の善思と不善思は皆、業有である。

上に述べた定義によれば、もし、人が、無明、愛、取、行が最も顕著な心路過程の、一つひとつの心識刹那の究極界(名法)、及び行と業に属する意門心路過程名法グループを修観(注41)するならば、彼は已に行と業有の修観を円満したのだと言える。

こうしたことから、観禅の段階において、上に述べた定義に従って、行と業有の三相を観照しなければならない。

業縁の篇で述べた所の、業力(すなわち、異刹那業力)は、観禅の目標ではない事に注意を払う事。

業力の来源、すなわち、行と業こそが、観禅の目標となるのである。

 

俱生識(果報識)が生起するが故に、俱生名色が生起する

1、結生識が生起するが故に、結生名色が生起する;

結生識は因、結生名色は果。

2、有分識が生起するが故に、有分名色が生起する;

有分識は因、有分心名色は果。

註:同一の一個の心識刹那の中で、有分識と相応する所の心所を「名」とし、有分識によって引き起こされた心生色を「色」として取る。

しかしながら、観禅の段階において、心生色と同時に生起する所の、業生、時節生と食生色を修観しもよい。

因果を識別する段階において、智でもって、相見合う所の識と心生色の関係を知見した後、因果を識別する。

心路過程心の識別方法もまた同様である。

心路過程心に関して、果報識とは、五識、受領、推度と彼所縁のみである。

「俱生識」は、果報識のみを指すのではなく、唯作識と速行識、すなわち、五門転向、確定、速行と意門転向、速行を含む事に注意する事。

經の教えでは、識、名色、六処、触と受縁起支は果報法に過ぎないと言う。

しかしながら、これらの果報の中において:

もし、五門転向がないならば、五識、受領、推度は生起することができない;

もし、速行が無いならば、彼所縁は生起することができない(《大疏鈔》)。

故に、すべての究極界を取り逃さない為に、因果を識別する時、五門転向、確定、速行と意門転向、速行を識別することは可能である。

もし、禅修行者が、それらは果報輪転に含まれない事を、理解しているならば、(それらを識別しても)問題はない。

死亡識はが、生色を引き起こす事ができるかどうか、異なる著作は、それぞれに異なった論点を擁している。

3、死亡識が生起するが故に、死亡名(色)は生起する;

死亡識は因、死亡名(色)は果。

[五門転向識が生起するが故に、五門転向名色は生起する;

五門転向識は因、五門転向名色は果。]

4、眼識が生起するが故に、眼識名法は生起する;

眼識は因、眼識名法は果。

または:眼識が生起するが故に、眼識名色は生起する;

眼識は因、眼識名色は果。

註:同等の方法を用いて、耳識、鼻識、舌識と身識を識別する。

「名」は七相応心所である。五識(たとえば、眼識)は、心生色を引き起こすことはできないが故に、「間接的」に、五識が発生した時の業生色を目標とするのである。

観禅の段階において、生時(uppāda)のある所の、業生、時節生と食生色、及び前生心(前の一心)によって引き起こされた正に住時(ṭhiti)にある所の、心生色を、同時に観照する事はできる。こうする事に、問題はない。毎回、同じ方法で修習する事。

5、受領識が生起するが故に、受領名色が生起する;

受領識は因、受領名色は果。

註:「名」とは、受領心相応の10心所の事を言う。「色」とは、受領心によって引き起こされた所の、心生色を言う。

その後の、心路過程心の中において、たとえば、推度は、上に述べた方法によって、各々に相応する心所を「名」とし、心生色を「色」とする。

6、推度識が生起するが故に、推度名色が生起する;

推度識は因、推度名色は果。

[確定識が生起するが故に、確定名色が生起する;

確定識は因、確定名色は果。]

[速行識が生起するが故に、速行名色が生起する;

速行識は因、速行名色は果。]

7、彼所縁が生起するが故に、彼所縁名色が生起する;

彼所縁は因、彼所縁名色は果。

[意門転向識が生起するが故に、意門転向名色が生起する;

意門転向識は因、意門転向名色は果。]

(意門心路過程の)速行と彼所縁の識別方法は、上に述べたものと同じである事を理解しなければならない。これらの識別方法に関して、参考にした聖典は以下の通りである:

Nāmarūpassa yaṁ hetu、viññāṇaṁ taṁ dvidhā 

mataṁ vipākamavipākañca、yuttameva yato idaṁ

(《迷惑氷消》)。

Shajātaviññāṇa paccayā  nāmarūpaṁ、

kammaviññāṇa paccayā ca nāmarūpañca 

yathāsambhavaṁ yojetabbaṁ.(《根本疏鈔》)。

Kammaviññāṇapaccayā  vipākacittappavattikāle

vipāka namassa、kammasamuṭṭāna

rūpassa ca vasena.

Sahajātaviññāṇa paccayā  pana itaracittappavatti

kālepi vipāka nāmavasena、cittasamuṭṭhāna

rūpavasena ca nāmarūpassa sambhavo

dassetabboti āha’sahajāta・・・yojetabban'ti.

(《随疏鈔》)。 

注41:《智慧の光》に基づいて、ここで用いた「修観」とは、観禅の修習の事を言う。例えば、名法修観とある時、すなわち、それは名法を目標として観禅の修習をする事を言う。以後、「修観」という詞が出てきた時は、斯くの如くに理解する事。

(10-17につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>