仏陀はまた言う、
結生の直接的な因は業であるが、しかし、結生が果報になり得るためには、貪愛が欠かせない。
人類が結生する時、人類の生命を生じせしめることのできる色法<注169>の業は善業であるが、しかし、結生自体の発生は、「取」であり、「取」はまた、「愛」を縁とし、「愛」はまた、無明ーー四聖諦への無知を縁とする。
業生色は、すべての時、一切の時において、生起することができる。それは、すべての、その他の、色法の基幹である。一つひとつの心識刹那(cittakkhaṇa)(色法の寿命の17分の一)は、みな、三個の小刹那に分けることができる:
生(uppāda)、住(ṭhiti)、滅(bhaṅga)。
一つひとつの小刹那には、みな、新しい業生色が生じる、すなわち、一個の五門心路の期間には、51個の小刹那(17心識刹那*3小刹那)<注170>があり、一つひとつの小刹那において、みな、無数の業生色聚が生起する。
これらの業生色聚の中の時節は、また、時節生色聚を生じせしめることができ、食素はまた、新しい食生色聚を生じせしめることができ、そして、これらの新しい色聚の中の、時節と食素はまた、更に多くの色聚を生じせしめることができる。
<翻訳文責: 緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>
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