Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

FDC資料「37道品ハンドブック」11-7 Ledī Sayādaw著(翻訳完了)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 来世もまた同様である。 衆生は以下のように思惟する: 「我々は疾病を経験するだろう。我々は老化するだろう。我々は死ぬだろう。」と。 …

FDC資料「37道品ハンドブック」11-6 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 同様に、衆生は極端に疾病、老化と死に恐怖する。 しかし、彼らは、この種の懼れを受け入れるが故に、却って、過去の思いがけない事象の中…

FDC資料「37道品ハンドブック」11-5 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) ◎「身見」の罪悪 「身見」の悪は、極端で深刻であり、その影響は、深遠である。 一人の、母親殺しの業行を犯した人は、必ず、無間地獄の境…

FDC資料「37道品ハンドブック」11-4 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 過去に(+蓄積された)無数の業は、「身見」の消滅した刹那に、効力が発生しなくなるのは、何故であるか? 以下に例を挙げて、説明する: …

FDC資料「37道品ハンドブック」11-3 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) かくの如くに作意・思惟する衆生は、一たび完全に「身見」から解脱、抜け出すことができたならば、たとえ彼らが(+今は)人類であっても、…

FDC資料「37道品ハンドブック」11-2 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「我見」は旧い悪業の首領であり、故に、持続的に、衆生の上に、付いて回る。 「身見」が存在していさえすれば、これらの旧い悪業は、非常…

FDCの皆様へ

FDC(福岡ダンマセンター)の皆様へ 5月13日(日)の少童神社での勉強会(法話会)の資料 <覚知、念と定>は、<菩提樹文庫>に掲載されていますので、ご一読下さい。 6月からは、 アチャン・チャーの『法の贈り物』と Ledī Sayādaw著『37道品ハンドブック…

FDC資料「37道品ハンドブック」11-1 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) <付録一> 第十一章 「無我」を証入する利益 今、私は「無我」を証入した時に生起する利益について、説明する。 もし、一人の修行者が、明…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-18 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) しかし、今日においては「助縁貪欲」、「世間貪欲」、「輪廻財貪欲」という、これら悪の遺産が、主導的な要因、(+人生の動機)になってい…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-17 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 善良で有徳なる修行者は、 善の遺産とは何か、悪の資産とは何か? 何が「決定」の遺産で、何が「未決定」の遺産か? 何が善の継承者で、何…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-16 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 戒・定・慧の三学、「戒清浄」等の「七清浄道」及び「念住」、「正勤」、「如意足」、「精進」、「力」、「菩提支」、「道」の「37道品」は…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-15 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 毎回、凡夫が己の導師と帰依の対象を変更する度に、彼の依拠する理論と原則もまた、変化する。 ある時には、凡夫は「一切智仏」が制定した…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-14 Ledī Sayādaw著(115/120)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 一人の修行者は、今月は「一切智仏」の弟子であり、次の月にはもう一人の導師の弟子でありえる; 今年は「一切智仏」の弟子であり、来年は…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-13 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) (+比丘の)衣は、サンガの共有財産と見做すべきであり、そうであれば、それは、法的財産という事になる。 問題を起したこの比丘は、227条…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-12 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) いわゆる「沈潜」や「漂う」等の、それらの意味は: 「資糧財」、「世間財」、「因縁財」という、この三種類の財の中で、「過失の察知の智…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-11 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) ここにおいて、我々は以下のように言う事ができる。 上に述べた事柄が事実であれば、それは、仏陀が己自ら、巧妙に衆生を済度しようとし、…

FDC資料「37道品ハンドブック」 10-10 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「経律論三蔵」を含む所の「聖典の学習」(pariyatti-sāsanā)は、「修持法」と「仏法の実現」の基礎となる。 唯一「聖典の学習」が安立し…

FDC資料「37道品ハンドブック」10-9 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 故に、この三種類の「財の遺産」は、仏陀の憂慮と心配を生じせしめた・・・これは仏陀をして悲しみを感じせしめる遺産である。 そういうこ…