Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

65歳の仏教修行報告書(3)>神秘体験

「神秘体験」と言うと、多くの人は嫌がりますね。例のオ〇ム事件で、もうコリゴリという感じ(苦笑)。でも、実際には、普通に日常生活を送っているのに、神秘体験をしてしまう人はいて、それらの意味を説明してくれる良い師に会えなくて、困っている人もいるのですよね。

かくいう私もその一人でして・・・(笑)。

5歳の時「おしゃか様」という一句を聞いて「あ、この人とっても偉い人!」と感じ入って、その場で直立不動になっていた私(遊んでいたボールを取り落として、硬直して、その場に立つくしていたのを、覚えています。誰も教えないのに、仏陀の偉さを何でわかったのか、自分でも謎です)。

10歳の時は、学校の先生が黒板に「緬甸」と書いたら(訳あって、先生、いきなりこの漢字を黒板に書いたのです)、黒板が光ったのですね。で、「あっ、私大きくなったら緬甸にいく」と思いました。でも、今考えると、黒板が光ったのでなくて、自分の心の中から光が発せられたようです。

次は、23歳。長男を出産する時、陣痛が余りに痛く、医師に「なんとかして~~!」というものの、「お産は病気じゃないから」といって放ったらかしだったのですね。その時なぜか私は「そうだ、息を観よう」と思いつき、今でいうアーナパーナサティを始めていました。勿論、その頃は仏教の修行はしていないので、苦肉の策の自己流、思いつきです。そして1、2時間ほど経った頃、私はサマーディに入ってしまいました(その頃はこんな言葉知りませんでした。後でタイの僧侶から学んだのです)。

陣痛は止まり(痛みがぴたりと止まりました)、医師の持つ鋏や鉗子のぶつかる音が、えも言われぬ妙えやかな高い澄んだ音<チーン><チーン>て響いている。「ああ、ここはお浄土か」と思いましたね。そして外をみると11月の真夜中なのに、満艦飾のクリスマスツリーが一斉に灯ったように、真昼のように明るい。なんども目を凝らしてみましたが、真昼のようで、この時初めて、恐怖を覚えました。

次は、真夜中に丹田が開いた話。第三の目が開いた話。インドの旅行中、脳内に、習ったことのないインド文字が燃えるように浮かび上がる話・・・、パオセヤドーの本に出会うまでの、タイから台湾へと続く旅の途中の、シンクロニシティーの話。UFOも見ました。

長くなるので、これらは、次回に書きます。

私が一番困ったのは、不思議な体験をしても、日本では、誰もその謎をといてくれない事でした。「宗教に走る」と揶揄されるような、親兄弟にも自分の体験を話せないような、日本という国で生まれたので、仕方がなかったのかもしれません。

「神秘体験=悟りではない!」と言って批判する人もいますが、意図せず体験してしまったものは仕方ありませんよね(笑)。