Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵仏教談義>語るに落ちる真〇苑

昨日、インターネットを見ていたら「立川市の宗教施設の前で刃傷沙汰」「宗教団体の職員が刺される」とありました。

立川市の宗教施設で有名なのは真〇苑ですね。

それで、水中運動の時に、以前、私をこの苑に勧誘しようとした Aさん に会ったので、この事を知らせてあげました、なるべく淡々と。

すると Aさん 「あなた、真〇苑を馬鹿にしたでしょ!」ってお怒りに。

まぁ、こうくるだろうと思って、なるべく淡々と話したのですが・・・、私は「こういう報道がインターネット上にあった事実を貴女に伝えただけで、いいとも悪いとも言った事がない」と反論しておきました。

真〇苑は、<なんでも霊能者の言う事を聞いておけば幸せ>という霊能者依存の教えらしく、それで、そんな優秀な霊能者集団のいる教団で刃傷沙汰が起きるはずがない、という道理、かつ、それを知らせたあなたは、きっと心の中で真〇苑を馬鹿にしている、という反応。

これを<語るに落ちる>というのです。

仏陀ご在世の頃、彼の弟子たちに超能力があっても、人に見せなかったため、他の教団から馬鹿にされた時、仏陀ははやる弟子たちを諌めて「私が彼らに超能力を見せるので、他の者はこれからも他人に超能力を見せてはならない」「超能力を他人に見せるのは、女性が腰巻を他人に見せるような、はしたないことです」と言っています。

霊能者が霊能を使うのは、仏陀は禁止したはずですし、ましてや、それで集金するなんて・・・。

私の理解では、霊能者はトランスに入っているのであって、禅定に入っているのではない、と思います。

霊能で神の声を聴き、他者に伝えるのは、仏教でもなんでもない。

仏教とは、守戒・禅定・智慧の三学であって、それは自分自身で実践し、獲得するものです。