是誰庵のひとやすみーブッダダーサ著「無我」翻訳します
7月22日から28日までの、クムダ・セヤドーによる熱海瞑想会
の最終日、昼食の前に時間があり、参加者の自己紹介などが
ありました。
その中で、「無我とは何か?」ということが話題になりました。
「無我とは何か?」に関して、私も、私なりに、瞑想体験を通して
得た見解を持っていますが(そのため、私の庵名は「是誰庵」な
訳です)、なにぶん、昼食の時間が迫っていましたので、議論は
控えました(「無我とは何か?」を語り始めると、
まずは、言葉の定義から始めなくてはならず、前振りだけでも
一時間は必要です)。
そんな訳で、家に戻って本棚を探してみると、タイのブッダダーサ
比丘の書かれた、そのものズバリ「無我」(中国語版)がありました
ので、これを訳出して、皆様のご参考に供したいと思います。
(私は色々な仏教書を翻訳していますが、必ずしも、著者に心酔している
わけではありません。自分とは反対の意見であっても、参考に値すると
思えば翻訳して、ブログにアップしています。今後も<何々派>を
標榜することもありません。ただ、口頭禅には反対です。口頭禅は、
百害あって一利なしが故に)。
私自身は、どちらかというと故中村元先生の「非我説」が好きです。
また、中国語で読む仏教書には、「無我」と「非我」は、同じ意味に
使われていて、両者に区別はありません(中国人・台湾人は、無我か
非我かで議論することはありません)。
「無我(非我)とは何か?」
「無我所有」「非我所有」「自我」「大我」「小我」というときの、
それぞれの「我」の含意は何か?
「一元論とは何か?」
「非二元論(アドヴァイタ)とは何か?」
「梵我一如とは何か?」
「観る者と観られる者の関係は?」
「涅槃を体験するとは、誰が何を体験するのか?」
仏陀の時代の「梵」と「我」の定義は何であったか?
科学と心理学が発展した現代の「梵」と「我」の再定義はあるのか?
どうかは分かりませんが(私は、全編を読み通すことなく、いきなり
翻訳に着手するのが習いのため)、上記の事柄を考える手がかりには、
なると思います。
パオ・セヤドー「菩提資糧」と上述「無我」は平行して訳出、
アップします。よろしくお願いいたします。
Pannya-adhika sayalay
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