こうしたことから、《法句経注疏》では、地獄は愚人の真正の住かである、と言う。
彼は長期的に地獄にいて、少しの間だけ人間界に戻り、その後にまた地獄に戻る。
これが、仏陀が、なぜ<人身受け難し>と言ったのか、という理由である。
しかしながら、多くの人々は、人身を惜しまず、悪道に生まれ変わって後初めて、己が人間であった時の命をよりよく生かすことができなかったことを後悔する。しかし、その時点では、時、既に遅しなのである。
愚人は大地獄において、非常に長期的な苦を受けた後、小地獄へと生まれ変わる。この地獄において、非常に長期的に苦を受けた後、餓鬼道に生まれ変わる。餓鬼道において、非常に長期的に苦を受けた後、畜生道に生まれ変わる。畜生道において、彼らはお互いに殺戮し、多くの悪業を成し、死後また地獄に落ちる。このような生まれ変わりを何度も繰り返した後、彼らは人間に生まれる。しかし、彼らはまた多くの悪業をなし、死後また地獄に落ちる。こうしたことから、我々は、愚人は地獄の常住者である、という。
このことから、我々は、正見のない愚人は、如何にして、身口意の悪業を成しながら、破滅へと向かうかを、知ることができる。
故に、善悪を分別できる事、そして、物事にたしいて善行を実践する事は、非常に重要である事、それは我々に幸福を齎すし、他人にも幸福を齎すこと(+が分かるのである)。
仏陀は、悪業の危険性を指し示すだけでなく、善業の利益も指し示す。
この種の智慧は、一種の真正なる利益であり、現代の科学が人類に提供することのできないものである。
次に仏教は、人類に今世の楽しみを齎し、来世における楽しみも齎すことができる。
この事について、《愚人と智者経》の中で、仏陀はこう言っている:
「身口意の善業をなす智者は、身体が分解し、死亡する時、善趣に生まれ変わるか、または天界に生まれ変わる事さえもある。」
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>