<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
仏陀はこの事を、皮膚の無い牝牛に、譬えている。
たとえば、一頭の牛がいて、生きたまま、その皮を剥ぐとすると、この牛がどこへ行こうが、多くの細菌と虫が血肉(+の栄養を吸って)、その中から湧いて出てくる。
塵、砂なども血肉に粘着するし、草木にぶつかれば、耐え難いほど痛いであろう。
地面に這えば、地面にいる虫に咬まれるし、水に入れば、水の中にいる虫に血を吸われるし、他のものに触れないよう立つにしても、空中を飛んでいるアブなどに咬まれる。
皮膚の無い牛は、横になっても立っていても、耐え難い苦痛に襲われる。
どこに立っても、壁に沿っても、木の下でも、水の傍でも・・・そこに住んでいる動物が、その牛を咬むに違いない。《相応部12:63経》。
六根が六塵に触れるとき、我々は眼触、耳触、鼻触、舌触、身触及び意触に晒され、かつ、その次には(+それが)強化され、また、三種類の受が生起することになる。
この三種類の受によって、我々は圧迫を受けており、それは、我々をして不断に不善心を生起せしめ、よって、輪廻を延長させる事になる。
(15-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより
正式に初心者瞑想指導の許可を得る)>