<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(所応行帰依の対象に関する説明)
所応行(gamanīya)(帰依の対象)という表現に対して、(反対者)は非難して以下のように言う:
「私は仏に帰依する(Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi)」という言い方は、仏陀に帰依する者が、仏(buddhaṃ)の所へ行く(gacchāmi)という言葉を使って、その事が、表現されているのであるが、それは、一句の中において、二つの場所の事に触れているので、意味がない、と。
なぜであるか?
もし、行く[往趣(gamana)]の動詞に、二個の受動詞がある時、たとえば、「彼は羊を連れて村に行く」などのようなものは、諸々の文法家は、二つの受動詞を使うのを嫌い、ただ「彼は東に行く、彼は西に行く」という言い方がよいと言う。
(答)そうではない。同一の使役動詞は、仏と帰依を表しているのではない。例えば、同一の使役動詞のおいて、それらは(仏と帰依の二個)という意味を持つならば、仏陀の住まいに行こうとしている者は、帰依する事も成り立つのである。
故に、すでに帰依した者は、それは、唯一殊勝なる、「仏陀」にのみ帰依したのである。
(2-21につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>