南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》3-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(+我々が)熟睡している時は、唯一、前世の業の果報のみが、生じている。

この果報心は、非常に安定していて、静かである。

速行心は全くの反対で、それは非常に活発で、異熟心のように静止している、という事はない。

たとえば、私が今、声を出している時の心、その心の中には、相当に多くの、速行心が含まれている。

というのも、これらの速行心の激発によって、声が、相当、明晰に出るようになり、そのことによって発声ができるようになるからである。

速行心の激発は、声をば、相当明晰にならしめるが、それは、録音を希望している人がより良く録音できる為と、在席の法師及び居士の方々全員に、法の義を理解して頂きたい(+という私の心遣い)が故である。

私は、ただ単純に声を出すだけでなく、心理的にも、各種の気遣い、期待が含まれているのだが、気遣い、期待が、最も多く含まれる速行心の内、思心所は、最も強くて力があるのである。

「思心所」とは、責任者のようなものである。

たとえば:

ある一場の会議において、そこには必ず主席、責任者、会員たちがいるものであるが、これらの人々の中で、最も責任が重いのは、責任者である。

彼は、会場全体にかかわる諸々の事柄を処理し、スケジュールを管理し、参加者が、最も素晴らしい成果を得られるように、非常に努力する。

主席は会議の司会を担当するものの、最も気遣いをし、心を砕くのは、責任者である。

(3-4につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>