<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
禅相は「想い」から生じる。
禅相の出現する以前、それぞれの禅修行者には、それぞれ異なる想があるため、修行者毎に、異なる禅相が生じるのである。
禅修行者が修習している所の業処は、全員が安般念ではあるが、しかし、人によってそれぞれ、異なる禅相が生じる。
ある種の人々にとっては、禅相は柔和で:
綿花、気流、明けの明星、輝くルビー、または宝玉または真珠の様であったりする。
ある種の人々にとっては、それは荒々しく、綿花の木の幹または、尖った木の様である。
ある種の人々にとっては、以下の様である:
長い紐または細い紐。花輪、煙、広がった蜘蛛の巣、薄い霧、蓮の花、月、太陽、電燈の光。
綿花の様な純白の禅相の、その大多数は「取相」(uggaha nimitta)である。
というのも、取相は通常は、不透明で、光らないものであるが故に。
禅相が、明けの明星の様に、明るく光り輝き、透明である時、それは「似相」(paṭibhāga nimitta)である。
禅相が、ルビーの様であり、または宝石、または宝玉の様であるが、明るく輝くことがない時、それは取相である:
それが明るく発光する時、それは似相である。
その他の形状と色彩を呈する禅相は、上記と同じ方法でもって、理解することができる。
(3-14につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay