Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#39-11

問5-4:(以下に列挙した質問を、まとめて回答する)

仏陀の時代、菩薩は存在しましたか?もし存在したならば、何かの道果を証悟しましたか?または、彼は一人の凡夫(puthujjana)でしたか?

●なぜ、聖者(ariya)は、菩薩になれないのでしょうか?

●聖弟子(sāvaka)は、心の意向を変更して、菩薩になることはできますか?もし、不可であるならば、その理由は何ですか?

●セヤドーの指導に従って修行したならば、禅修行者は、入流道果智(sotāpattimaggañāṇa/sotāpattiphalañāṇa)を証悟することはできますか?

禅修行者は、菩薩道を実践したいという請願が原因で、道果を証悟しないという事を選ぶことができますか?

答5-4:道果を証悟する前の段階で、禅修行者は、心の意向を変更することはできる。しかし、証悟した後では、変更は不可能である。仏陀は、多くの經文の中で、聖道は、正性定律(sammattaniyāma)によって発生するのだと、教えている。正性定律とは:

1)入流道(sotāpattimagga)は、入流果(sotāpattiphala)を生じせしめるが、その後、彼は、更に一歩進んで一来者(sakadāgāmi)になることができる。しかし、凡夫(puthujjana)の段階に戻ることはできない。

2)一来者は、更に一歩進んで、不来者(anāgāmi)になることができるが、しかし、入流または凡夫に戻ることはできない。3)不来者は、阿羅漢になることができるが、しかし、一来、入流、または凡夫の段階に戻ることはできない。

4)阿羅漢は、死後、般涅槃するが、(これより)更に低い聖者、凡夫またはその他の段階に戻ることはできない。

阿羅漢は、終極であり、これが正性定律(sammattaniyāma)である。阿羅漢に関しては、仏陀は、何度も、以下の様に言っている;<注301>

”Ayamantimā jāti、natthidīni punabbhavoti.

「これが最後の生である。今、すでに後有は、無い。」

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>