南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#41‐7

《表1d:死亡と結生》

《中国語原文p300の<表1d> は、

菩提樹文庫>管理人様に制作して頂き、

菩提樹文庫>PDF版において、挿入、公開します。

当ブログでは、表の作成ができないため。。》

中国語原文p301

「表1d:死亡と結生」への更に一歩進んだ説明。

一個の心は、一個の心識刹那(cittakkhapa)を維持するが、それは生(uppāda)↑、住(ṭhiti)|、滅(bhaṅga)↓という、三つの段階を持つ。

認知とは、一つの、固定された過程であり、心の定律(cittaniyāmā)に従って進行する。

故に:

一期の生命の最後の心路:

最後の心路の所縁は、三者の内の一つ:

業、業相または趣相(詳細は、上記、中国語原文p297参照の事。

当該の所縁は、次の一期の生命の離心路(vīthimutta)心の所縁となる<注316>。

それらは、根門心路に依存せず、独自に生起する。

それらは:

1)次の一期の生命の一番目の心、すなわち、結生心(paṭisandhi-citta)。

2)次の一期の生命の有分心(bhavaṅga-citta)

3)次の一期の生命の最後の一個の心識ーー死亡心(cuti-citta)--一期の生命の死亡心は、常に、以前の一世の臨終心路の業、業相または趣相を所縁とする。

一期の生命の、最後の一個の、心路は、必ず、ただ、五個の速行心があるだけである。

それらの思は、単独で、結生識を生じせしめることはできず、ただ、新しい一期の生命へ向かうための、橋梁となるだけである。

その後に、彼所縁が生起する可能性がある。

死亡心の前には、有分心が生起する可能性もある;

それらが生起する時間の長短は、数日、または数週間である可能性もある。

一たび、死亡心が滅しさるやいなや、命根は断絶し、残されたのは、一体の死体となる:

無生命の色法である。

一期の生命の一番目の心路:

結生心(一期の生命の、一番目の心)に密着して<注317>、その直後に、同一の所縁を縁に取る、16個の有分心<注318>が生起する。その後に、必ず、一個の意門心路が生起して、新しい五蘊を所縁として取るのである。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>