Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~日本仏教界の責任

先日、公民館でお年寄りの集まりがありました・・・

(私も、齢72歳なので、行くのは、ディケアーか、老人会とか、そんな所ばかりです~笑)。

その時、70歳くらいの老人(女性)が、

「私は、着ているブラウスが派手で、恥ずかしい」

というのです。

田舎のお婆さんですから、お財布が豊潤という訳にはいかず(私も同じ)、手持ちのお洋服を着まわしている、と言っていました。

そのブラウスは、ベージュの地に、オレンジ色の花模様が散っているもので、襟の形などから、もうまったくもって、老人向けブラウスであることがアリアリなのに、それでも

「派手で恥ずかしい」

というのです。

私には、これが、理解できない。

まず、年を取ったら、自分の来し方を反省し、これから行く先の事に思いを馳せて、己自身の心が清らかであるかどうか、それを点検する方が大事、だと私は思う。

何を着てても、もう、どうでも、いいではないですか?(こざっぱりとして、着心地がよければ、それでよい)。

人間にとって一番大事な、法(仏教的真理、存在に関する真理)を含んだ教育、指導を、日本の仏教界はしてこなかったのではないでしょうか?

私がタイで修行していた時に出会った中年の方々、または老人の方々は、皆、退職したら、財産を処分して(子供に渡して)、お寺に入る算段をしていました。

お寺(サンガ)は、個人向けの家庭を営む場所ではなく、出家の比丘、比丘尼(メーティラシン含む)の修行の場であり、悩める人々の苦しみを掬い取り、受け入れ、指導する場です。

日本の仏教界は、これが出来ているでしょうか?

近所の禅宗の住職さんが

「厳しい事をいうと、在家の方々がお寺に来なくなるので、何も言えない」

とおっしゃっていましたが、では、

五戒とは何ですか?

227戒とは何ですか?

なぜ、死者に戒名をつけるのですか?

それもお金と引き換えに?

四聖諦とは何ですか?

無常・苦・無我とは何ですか?

刹那生・滅とは何ですか?

と問えば、あなたは喜んで解説できますか?

この住職さんは、ご結婚されて、家族がいて、227戒は、守っていない。結婚して、飲酒しているなら、五戒の内、二戒は、守っていない。

出家比丘が、戒律を守り、修行中心の、厳しい生活をしていないのであれば、在家に厳しいことを、言えるわけがない・・・

実は、在家の方々も、僧侶の言動が、本来の仏教の教えと乖離している事をウスウス感じていて、聞く耳を持たない様になっているのではないでしょうか?。

そして、社会全体が、仏教界全体が、存在に関する真理についての教育を怠ったせいで、老人の心は、今、右往左往して、ブラウスの色の心配をしている。

やんぬるかな。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>