識無辺処果報心は、識無辺処地に出生して、梵天神の結生心となるものであって、それは、識無辺処善心から生じる。
もし、一人の人間が、かつて、識無辺処禅心を証得したことがあっても、しかし、臨終のときにジャーナを失うのであれば、識無辺処地に生まれる事はできない。
もし、無色界処に出生したいのであれば、臨終の時に、ジャーナを保ち続ける必要がある。
無所有処果報心と、非想非非想処果報心もまた、同様である。
(3-135につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>
識無辺処果報心は、識無辺処地に出生して、梵天神の結生心となるものであって、それは、識無辺処善心から生じる。
もし、一人の人間が、かつて、識無辺処禅心を証得したことがあっても、しかし、臨終のときにジャーナを失うのであれば、識無辺処地に生まれる事はできない。
もし、無色界処に出生したいのであれば、臨終の時に、ジャーナを保ち続ける必要がある。
無所有処果報心と、非想非非想処果報心もまた、同様である。
(3-135につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>