反対に、もし精進が過剰で、定力が不足である時、「掉挙」が生起する。正念は、精進力が多すぎる時、リラックスしなければならないという事を知っている。こうして初めて、定根と精進根をバランスする事ができる。
正念は(バランスの可否を)知っている為、調整する事ができる。もし、正念がないのであれば、信心(=確信)が強すぎるとか、または、智慧が、ある時点で過剰に強い事が分からない。「偏りがひどい」場合、修行は進歩しない。修行においては、五根がバランスしていなければならない。正念は、ちょうど塩の様であって、調理する時に、塩がないならば、その料理は、味気ないものになる。
故に、仏陀は、どの様に場合においても、正念は必要である、と言うのである。
(7-12につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>