2023-03-02 翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(16ー15)(私家版) 思心所自体が業を成す者で、受心所が果報を受け取っているのである。 故に「思」自体が業造者、「受」は報いを受ける者、ということになる。 この二種類の心所以外に、別途、人が業を成しているということはなく、報いを受ける人、というのも存在しない。