Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

大念処経を読む

私の手元に、手のひらサイズの『大念処経』(巴漢対訳)があります。とても小さく、老眼の私は読むのに苦戦しますから、昨日、拡大コピー(A3)して来ました  。                      『大念処経』、私が一番好きなお経です(上の写真をご参考下さい)。。。。。。                                              私は、子供の頃からパーリ語というものが気になって気になって、仕方ありませんでした。。。。。。。。。          東大インド哲学科の中村元博士方々の研究が結実して、日本で、パーリ語辞典が出版された時は、子供心に欲しくて欲しくて仕方なかったのですが、親にどの様に説明すれば買ってもらえるのか、トンと見当がつかず、悔しくて、布団を被って泣いたのを覚えています(何故欲しいのか?何に使うのか?自分でもよくわかっていない〜笑)。。。。。。。                30過ぎてタイの森林僧院に修行に行く様になって、夕暮れの僧院で、パーリ語の『大念処経』を生で聞いた時は、もう、涙・涙、大泣きしました。。。。。           私が好きな『大念処経』のクライマックスは、<身随観威儀路部分>の章=比丘は、歩く時は歩くと知って、立つ時は立つと知って、座る時は座ると知って………の部分です。。。。。                これは素粒子的に刹那生・滅する自己が、意欲に促されて、立ったり座ったりしている、そのありのままの様を観察せよという、ゴータマ仏による、 vipasssnã の指導です。。。。。。。。。                            立っている時、文字通り、ただ、立っているのを知っている のが、vipassanā ではありせん。そんな事は一歳の子供でも分かる事、そんな事、修行して何になるでしょうか?(注1)………                   『大念処経』が、実は仏の智慧の真髄、vipassanǟ の教科書だと知った時は、本当に嬉しかったですし、なぜ自分が、このお経を愛して止まぬのか、その理由も合点が行きました。。。。。。。                            手元にあるこの小さな本は、巴漢対訳です。。。。。。。。                  『大念処経』を、大好きなパーリ語と大好きな中国語の両方で読めるなんて、コーヒー片手に、至福の時間になりそうです。。。。。。。。。。。。              (台湾には《台湾語で仏典を読む会》があって、参加してみたいのですが、私は日本在住ですから、物理的に難しいです。残念至極。北京語は清涼で歯切れよく耳に心地良いですが、台湾語はとても可愛い…ポットはテーコォ、牛乳はグーリンと言います。タイ語台湾語に似ていて、やはりとても可愛いです。子供はデックデック、涙はナムター、上位概念語が少なく覚え易い。私は緬甸語とは相性悪く、さっぱり覚えられません。)。。。。。。。。。。。。             注1=緬甸全土で、又、日本にテーラワーダが入ってきた黎明期の頃、vipasanā は、<自分が立っている事、座っている事を知る事>で、それは禅定に入らなくても実践可能である、と喧伝されました。。。。。。                 ゴータマ仏は、素粒子的に刹那生・滅する自己の心身を観察せよ、と教えた訳ですから、禅定に入らないで、出来る訳がないのです(vipassanā 自体は、定から出て後、定力を保持したまま行う、微細な対象への観察の実践。)。。。サマタ(定)・ vipassanā (観察)と、常に、ニ語、対で語られる所以です。