Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(85ー1/2)(私家版)

■一切の概要                5個の部分がある。1.5蘊。2.5取蘊。3.12処。4.18界。5.四聖諦。。。。これらは、観智の目標であり、非常に重要である。修行において、これらの真実法を知らないのであれば、進歩するのは非常に困難である。         一切の概要の目的は、観智が観照する所の、その範囲内の諸々の法である。故に、vipassanā観智を修行する時、5蘊、5取蘊、12処、18界と四聖諦を離れない事。唯一、徹底的に四聖諦を知ることによって、初めて、ソータパナを証する事ができる。この事は、仏陀が《相応部》で述べた所の、「もし、一切を実際に知ることがなく、一切を遍知する事がないならば、人々は、絶対に苦を滅尽する事は出来ない。」(と符合する)。一切とは、5蘊、5取蘊、12処、18界、四聖諦である。         1.5蘊               5蘊は、(1)色蘊。(2)受蘊。(3)想蘊。(4)行蘊。(5)識蘊。。。パーリ語の「khadha」(蘊)の意味は、「グループ」「塊」「聚集」である。仏陀は有情をこの5蘊に分析した。我々が「人」と言うのは、それが分かりやすいからであるが、究極的に存在するのは「5蘊」である。諸々の経典ではこの様に言う:「どの種類の色であっても、過去、未来、現在、内、外、粗い、細かい、劣る、勝、遠い、近いがあり、その一切を色蘊と呼ぶ。」我々は過去の色蘊に執着する。未来の色蘊に執着する……このことは、我々は、一切を色蘊と観照し、一個の私、と言うものはないと知らなければならない。その他の四蘊も同様である。受蘊では、「どの様な種類の受(苦受、楽受、不苦不楽受)であっても、過去、未来、現在、内、外、粗い(例えば苦受)、細かい(不苦不楽受)、劣る(例えば、欲界の楽受は、ジャーナより劣る)、勝(優れている)、遠い又は近い、これら一切を受蘊と呼ぶ。」同様に、想蘊、行蘊、識蘊等、皆この11種を擁する。

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