Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(100-1)(私家版)

✥止と観✥               「止」と訳される所の「samatha」は、「心の安寧・静寂」を意味する。専門用語では、「止」は、八定の中の「心一境性」に定義されるが、それは即ち、経教の法による所の四色禅(初禅、ニ禅、三禅、四禅)及び四無色禅の、一境性心所である。普通の、一般的な一境性をレベルアップすれば、定になる。一般的な心一境性は定とは呼ばない。不善心の中にも心一境性は存在する。心一境性は、遍一切心心所である。心一境性を定のレベルまで、引き上げて初めて、止と呼べる。これらの定(samādhi)が、止と呼ばれるのは、心一境性が、心の戸惑い又は驚愕(の現象)を平息するからである。。。。「観」と訳される所の「vipassanā」は、「各種の異なる方面から照見する」と解釈される。例えば、5蘊を、内部の、外部の、過去の、現在の、未来の……と、異なる方面から照見するのである。「観」は直接、諸々の究極法の無常、苦、無我の三相を照見するものである。もし、今発生している現象のみ知っていて、それの無常、苦、無我を照見する事がないのであるならば、我々は観の修行をしているのだとは言えない。観は、諸々の究極法の真実の本性を明らかにする様に導く所の慧心所の作用である。故に「観」は、慧心所の作用であると言える。それは、諸々の究極法の真実の本性を透視し、照見する事が出来る。。。      この章<業処の概要>は、《清浄道論》全体の概要である。更に詳しく知りたいと思う者は、《清浄道論》を参考されたい。