Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

2018-08-01から1日間の記事一覧

《Vipassanāハンドブック》20-7(F)(55/80)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 我々は理解することができる:笑う、微笑する、喜ぶ、悲痛、悲哀、悲嘆、呻吟、泣く、貪婪、恨む、信頼するなどなどによって生じる所の、一つひとつの蘊は、みな、その始まり、中間と終了がある事を。 話すことも…

般若の独り言~翻訳は進む

今日は大変に、《Vipassanāハンドブック》の翻訳が進みました。 台風の影響で、今日も結構強い雨が降り、庭仕事ができないので、結局、翻訳に頑張りましたら、全 80 ページの内の 55 ページ辺りまで来てしまいました。 残り 25 ページは、一週間もすれば完了…

《Vipassanāハンドブック》20-6(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ここにおいて、我(atta)は、ただ、形状を具する概念にすぎないのであるのに、却って真と信じられ、一種の実体であるとされている; また、生命の一種の、五蘊和合の概念にしか過ぎないが、これも却って真と信じ…

《Vipassanāハンドブック》20-5(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 参、断遍知 断遍知(pahāna-pariññā。「壊滅随観智」(bhaṅgañāṇa)から始まる観智): 妄想を捨断、捨棄する完璧な、かつ必要な智慧。 断遍知は、諸行の無常を観察する事を通して得られる智慧であり、三種類の常…

《Vipassanāハンドブック》20-4(F)(50/80)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 三、無我遍知 無我遍知(anatta-pariññā)は、心法と名法に対して、完璧で、必要な知識を具備している事と同じ様に、無我に関しても、完璧で、必要な知識を有している事を言う。 諸法が無我である事を観察する智…

《Vipassanāハンドブック》20-3(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 二、苦遍知 苦遍知とは、疾病、痛苦の固有な特性に対して、完璧で、必要な知識を言う。 苦はまた、二種類に分類することができる; 1、受苦(vedayita-dukkha): 痛苦を感じる苦受。 2、怖畏苦(bhayattha-duk…

《Vipassanāハンドブック》20-2(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 弐、度遍知 度遍知(tīraṇa-pariññā、または審察遍知): 深く正確に、名法と色法の刹那生・滅、盛衰を観察して、かつ、よく熟練して、名法と色法の連続性を分析して、刹那生・滅の事物とするのを言う。 以下の三…

《Vipassanāハンドブック》20-1(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (二十)三種類の遍知 遍知(pariññā)は、深く湛い智慧を言う。 三種類の遍知(tisso pariñña)がある。 1、知遍知(ñāta-pariñña):推理による智慧。 2、度遍知(tīraṇa-pariñña):分析、忖度による智慧。 …

《Vipassanāハンドブック》19(F)(45/80)★

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (一九)二種類の証智 abhiññāna は、超凡の知識、または非凡夫俗人が具備する所の、卓越した知的能力を言う。 二種類の証智があり、それはすなわち、寂止智(samatha-abhiññāna)と、法智である。 寂止智は、止…

《Vipassanāハンドブック》18-4(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 鼻識の生起には鼻根、香塵ーー香の所縁境、風(vāta)と作意等の四つが、生起の因となる。 ここにおいて、vāta は鼻の中、または吸い込まれた空気を言い、もし、空気、風(vāta)がないのであれば、香りは鼻根に…

《Vipassanāハンドブック》18-3(F)★

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 種と樹木の関係は、「作意」(manasikāra)が、 善悪の意識を生じせしめるのと、同じである; 泥土と樹木の関係は、六根が善悪の意識を生じせしめるのと、同じである; 雨水と樹木の関係は、所縁境が善悪の意識を…

《Vipassanāハンドブック》18-2(F)★

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 心と心所の起因については、三つの事柄が、その生起・生産に、導いている。 すなわち; 過去の業、能縁の根(=縁となり得る根)と所縁境である。 前者は、ちょうど樹木の種の様であり、能縁の根は、泥土の様であ…

《Vipassanāハンドブック》18-1(F)★

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 82種類の内の最後の、基本的事物(ultimate things)の内、涅槃は「生」の範囲に入らない。 故にそれは、いかなる創始者も必要としない: というのも、涅槃には老・死がなく、故に保養(matinenance)を必要とし…

《Vipassanāハンドブック》17(F)(40/80)★

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (一七)四種類の色法の生産者 四種類の色法の生産者は、以下の通り: 業(kamma)、心(citta)、火(utu)と食物。 一、業(kamma): 過去世において造(ナ)した善と悪の行為。 二、心: 己の心と心所。 三、…

《Vipassanāハンドブック》16-2(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一本の木には、五つの時期がある。 すなわち、最初の生成の時期、その後の集成の時期と相続の時期、老化の時期と無常の時期である。 最初は、一本の木として生まれる; その後に、一日ごとにゆっくり成長する; …