Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-3

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

「(+私は)三宝ーー最上の礼敬をされるべき者に礼敬しました。私は将に、以下の事を解説しますーーいくつかの諸々の小さい(聖典の)意味。諸々の小さい(聖典は)奥深く、ある種のものは、解説するのさえ、難しいものもある。

特に私のように、教法の中において、未だ覚悟(=覚醒)していない者にとっては。

しかしながら、今日に到るまで、(+私は)未だ(+私の)前を行く諸々の導師(注4)の判断を破壊した事はない。

そして、大師の九分教法(注5)は、同じく未だ保存されている。

その為、私は、大師の九分の教法に立脚して、また、古代の(諸々の導師方の)判断にしたがって、以下の解説をしたいと思う。

(+私がこのようにするのは)決して己を称賛したい為ではなく、また、他人を軽蔑したい訳でもなく、ただ、正法への諸々多くの尊敬によるものであって、故に、(+皆さまには)専心して傾聴して頂きたいと思うのである。

(注4)「導師(ācariya,阿闍梨)」ーーすなわち、老師、導師、教師の意味;ここでは、仏教における宗教師の事を指す。

(注5)「大師の九分教法(Navaṅgaṃ satthu sāsanaṃ)」とはーー世尊には三蔵の教法というものがあるが、三蔵によって分類する以外の、もう一つの分類の仕方、すなわち、世尊の一代における教法を九種類に分けたものがある。

それは:契経(suttaṃ)、応頌(geyyaṃ)、記説(veyyākaraṅaṃ、解説)、偈頌(gāthaā)、自説(udānaṃ)、如是語(itivuttakaṃ)、本生(jātakaṃ)、未曾有法(abbhutadhammaṃ)、智解(vedallaṃ、問答;論議)である。

《律蔵》の註釈書ーー《普端厳》では以下のように解説している:

「何を以て、分類(aṅga、支分)するか?(世尊一代の教法を)九種類に。

それは、一切(の教法)を:

契経、応頌、記説(解説)、偈頌、自説、如是語、本生、未曾有法、智解(問答;論議)の九種類に分けたものである。

その中で、(《律蔵》の)《両部分別》、《義釈》、(《律蔵》の)《犍度》、《付随》、《経集》の《吉祥経》、《宝経》、《Nālakasutta》、《迅速経(Tuvaṭakasutta;tuvaṭṭakasutta)》及びその他の、経の名前のついた所の如来語、これらを「契経」とする。

一切の、偈頌が付属する経は、「応頌」とする。

特に《相応(部)》の全体の《有偈品》は(+「応頌」とする。)

《アビダンマ蔵》の全部、無偈の経、およびその他、八分の教法に収められていない仏語は「記説(解説)」とする。

《法句(経)》、《長老偈》、《長老尼偈》、及び《集経》の中の、経の名の無いもので、純粋な偈頌のもは「偈頌」とする。

喜智偈頌に相応する82経は、「自説(経)」とする。

「此是世尊所説」から始まる形式のものが展開されたものは、112経を超えるが、これは「如是語」とする。

《無戯論本生経》等550の本生(物語)は、「本生」とする。

「比丘たちよ、これは阿難の四大不可思議、未曾有法」から始まり、展開される一切の不可思議、未曾有法に相応する諸々の経は、「未曾有法」とする。

《小智解経》、《大智解経》、《正見経》、《帝釈所問経》、《行分別経》、《大満月経》等、それぞれが、智と満足を得る為に質問した所の、一切の諸々の経は、「智解(問答)」とする。

(2-4につづく)

     <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「南伝仏教在家居士須知」改題「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律

ハンドブック」中国語版→日本語訳出翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>