<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
全体的に総括してみれば、生死輪廻は、ただ因果の法則に従った、心相続流に過ぎない(+事が分かる)。
もし、特定の縁、たとえば、因縁、業縁、異熟縁、無間縁など等の運用がなければ、生死輪廻は存在することができないのである。
結生心が生起する時、その相応する33個の心所(7遍一切心心所、6雑心所、19美心所、1無痴心所)は、30個の色法(身10法聚、性根10法聚、及び心所依処10法聚)と同時に、生起する。
それらは皆縁生法であり、縁力ーー異熟縁を通して、生じるのである。
結生心の後、有分心が生じる。
結生心も有分心である。
というのも、両者は共に、同一の業の果報心であり、かつ、同一の所縁を、縁に取るが故に。
16個の有分心が秩序に従って生・滅した後、一生のうちの一番目の意門心路過程が生起して、新しい生命(五蘊)を所縁として、執着する(+事が始まる)。
この新しい生命の一番目の心路過程の中において、それは、新しい生命への貪着(=貪婪な執着)を生じせしめるが、それは、生命の苦相については無視しつつ、新しい世の、第一番目の心路過程から(+始まって、すでに)、新しい生命の生存と維持を、渇望し始めるのである。
(14-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>