<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
止禅行者及び見清浄を成就したいと思う修行者は、何か一つの色界禅または無色界禅(非想非非想処は除く)から出定し、その後に、相、作用、現起(現象)及び近因に基づいて、諸々の禅支とそれらに相応する所の名法、すなわち、触、受、想などなどを識別する。この様に修習する事ができる様になったならば、彼はそれらのすべてを「名」として識別しなければならない、というのも、それらは所縁に「向かう」が故に(たとえば、安般似相)(《清浄道論》)。
《清浄道論》の指示に基づけば、あなたはこれらのジャーナ法の相、作用、現起(現象)及び近因によって、それらを識別しなければならない。
意門転向心刹那の中には、12個の名法がある。それらは、上に述べた34種類の名法の中の、識から精進までの12個の名法である。
第四禅心路過程の中において、近行定の段階では、喜がない、すなわち、遍作、近行、随順と種姓の刹那には、喜はないのである。
12.3 52心所(cetasika)
《阿毘達摩蔵》が分析する 52心所は、以下の四種類に分類することができる:
1、七遍一切心心所;
2、六雑心所;
3、14不善心所;
4、25美心所。
12.3.1 通一切心所(aññasamānacetasika)
上の二組の心所ーー七遍一切心心所と六雑心所ーーは合わせて「通一切」と呼ぶ。直訳すれば「その他の共有する」である。
美心でいうならば、不美心は「その他」(añña)である;
不美心でいうならば、美心は「その他」である。
上の二組の13の心所は、美心と不美心、二者共に「共有」(samāna)する。また、それらの品徳は、その他の、それと共同に、一心の内に存在する所の心所によって決定される、特にそれと相応する所の「根」または「因」(hetu)によって。
善心の中において、それらはすなわち善であり;
不善心の中において、それらはすなわち不善であり;
無記心の中において、それらはまたすなわち無記である。
この一点に基づいて、それらは「その他と共有する」と呼ばれ、品徳において変化する。
12.3.2
遍一切心(sabbacittasadhāraṇa)
七遍一切心心所は「一切心」(sabbacitta)「皆に存在する」(sadhāraṇa)である。これらの心所は、識知の過程の中の、最も基本となる、かつ重要な作用を執行するが、それらが欠ける心は、目標を識知することができない。
12.3.3 雑(pakiṇṇaka)
このグループの六個の心所は、遍一切心心所と同じく、品徳の上において変化する、すなわち、品徳は、それに相応するその他の心所によって決定される。それらと遍一切心心所の差異は:それらはある種の種類の心においてのみ出現しない、一切心ではない。
12.3.4 遍一切美心(sobhaṇa sadhāraṇa)
諸々の美心所は、四つのグループに分けることができる。
一番目は19個の遍一切美心心所で、一切美心の心所において、必ず出現する。それらと一切心心所との差異は:それらはある種の種類の心においてのみ出現する。一切心ではない。
(6-35につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>