Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」6-35(195/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

止禅行者及び見清浄を成就したいと思う修行者は、何か一つの色界禅または無色界禅(非想非非想処は除く)から出定し、その後に、相、作用、現起(現象)及び近因に基づいて、諸々の禅支とそれらに相応する所の名法、すなわち、触、受、想などなどを識別する。この様に修習する事ができる様になったならば、彼はそれらのすべてを「名」として識別しなければならない、というのも、それらは所縁に「向かう」が故に(たとえば、安般似相)(《清浄道論》)。

《清浄道論》の指示に基づけば、あなたはこれらのジャーナ法の相、作用、現起(現象)及び近因によって、それらを識別しなければならない。

意門転向心刹那の中には、12個の名法がある。それらは、上に述べた34種類の名法の中の、識から精進までの12個の名法である。

第四禅心路過程の中において、近行定の段階では、喜がない、すなわち、遍作、近行、随順と種姓の刹那には、喜はないのである。

12.3 52心所(cetasika)

《阿毘達摩蔵》が分析する 52心所は、以下の四種類に分類することができる:

1、七遍一切心心所;

2、六雑心所;

3、14不善心所;

4、25美心所。

12.3.1 通一切心所(aññasamānacetasika)

上の二組の心所ーー七遍一切心心所と六雑心所ーーは合わせて「通一切」と呼ぶ。直訳すれば「その他の共有する」である。

美心でいうならば、不美心は「その他」(añña)である;

不美心でいうならば、美心は「その他」である。

上の二組の13の心所は、美心と不美心、二者共に「共有」(samāna)する。また、それらの品徳は、その他の、それと共同に、一心の内に存在する所の心所によって決定される、特にそれと相応する所の「根」または「因」(hetu)によって。

善心の中において、それらはすなわち善であり;

不善心の中において、それらはすなわち不善であり;

無記心の中において、それらはまたすなわち無記である。

この一点に基づいて、それらは「その他と共有する」と呼ばれ、品徳において変化する。

12.3.2

遍一切心(sabbacittasadhāraṇa)

七遍一切心心所は「一切心」(sabbacitta)「皆に存在する」(sadhāraṇa)である。これらの心所は、識知の過程の中の、最も基本となる、かつ重要な作用を執行するが、それらが欠ける心は、目標を識知することができない。

12.3.3 雑(pakiṇṇaka)

このグループの六個の心所は、遍一切心心所と同じく、品徳の上において変化する、すなわち、品徳は、それに相応するその他の心所によって決定される。それらと遍一切心心所の差異は:それらはある種の種類の心においてのみ出現しない、一切心ではない。

12.3.4 遍一切美心(sobhaṇa sadhāraṇa)

諸々の美心所は、四つのグループに分けることができる。

一番目は19個の遍一切美心心所で、一切美心の心所において、必ず出現する。それらと一切心心所との差異は:それらはある種の種類の心においてのみ出現する。一切心ではない。

(6-35につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>