彼は、この様に、彼らに対して、教誡と警告をなした。
彼の言動に啓発・激励されて、30名の比庫は、悚懼感(恐怖心)を覚え、その場所に立ったまま、止観の修習を実践して、かつ、阿羅漢を証悟した。
こうした事から、止観は、放逸(pamāda)が原因で退失する事があるが、しかし、その業力は、なお、存在する(と考えられる)。
涅槃を証悟する事の出来る人間は、四種類ある。
一番目は、独覚仏(pacceka buddha)であるが、ここでは解説しない。
その他の三種類はそれぞれ:
1)菩薩。
2)上首弟子(aggasāvaka)または大弟子(mahāsavaka)。
3)普通弟子(pakatisāvaka)
である。
1)我々の菩薩は、燃灯仏の時代において、すでに、八定(samāpatti)と、五種類の世間神通を成就していた。
彼は、過去世において、止観を修習して、かつ、行捨智(Saṅkhārupekkhā-ñāṇa)に到達していた。
あの時、彼が希望さえすれば、彼は、燃灯仏が宣説する所の、四聖諦に関する、一首の、短い偈頌を聞いた後、即刻、迅速に涅槃を証悟する事は出来たのである。
しかし、この様な形で涅槃する事を望まず、未来において仏に成りたいと発願したのである。
この様にして、彼は、燃灯仏の授記を得た。