<注231>=四無礙解智に関しては、問答4-2.中国語原文P 230参照の事。
<注232>=《清浄之道・慧分類論》(Paññāpabhedakathā)(Vm.429)
<注233>=《清浄之道》の復注は以下の様に解説する:勝義諦に基づけば、「安息」とは非常に聖果の事で、「依処」とは非常に聖道の事である。そして、彼は、この段階においてはいまだ道果を証悟していないものの、しかし、すでに、証悟の方法に立って修行しているため、すでに安息を得た者、すでに依処を得た者と同じとする。またあるいは、「安息を得る」は、すでに見症状を証得した事を言い、「依処を得る」はすでに度疑清浄を証得した事を言う。
「決定至」は、善趣に生まれ変わること。
入流聖は、すでに、出世間聖道でもって、徹底的に邪見と疑を断じ除いており、かつ、悪趣に堕ちない事が決まっている事であるが、修行がこの段階に到達した観修行者は、世間観智によって暫定的に邪見と疑を鎮伏する。それはちょうど、入流聖者と同じである、故に「小入流」と呼ばれる。
<注234>=《耳入経》(Sotānugata Sutta)(A.4.191);中国語原文p170において、この経の引用がある。
<注235>=沙門天子の因縁に関しては、《天女経》(Accharā Sutta)の義注にある。(S.A.1.46)
<注236>=《スシーマ経》(Susīma Sutta)(S.2.70)
<注237>=S.3.59 、<はじめに>中国語原文p56~58に経の引用あり。
<注238>=ここでの三論は、無常・苦・無我の三相を指す。
<注239>=異なる禅定に関する説明は、問答3-1中国語原文p160参照の事。
<注240>=ここは、道智と果智を証悟することに関する事柄であるとする。
<注241>=近行定とは、ジャーナ心路の中の、意門転向心の後、種姓心の前の、三個の速行心の事である。中国語原文p84「表1a:禅定心路」及び関連する註釈を参照の事。
<注242>=《清浄之道・四界差別修習》(Catudhātu vavatthāna bhāvanā)(Vm.308)の中において、以下の様に説明する。
四界差別の所縁は、自性法(sabhāvadhamma-ārammaṇattā)であるため、ただ、近行定にしか到達できない。安止(ジャーナ)ではない。復注では以下の様に言う。それを近行定と称するのは、ただ、世俗語(ruḷhīvasena)に依ったに過ぎない、と。しかし、<念死論>(Maraṇassati-kathā)(Vm.177)は以下の様に言う:出世間定及び第二、第四無色定に導く前行修習は、それらの所縁が自性性であっても、なお、安止定に属する、すなわち、ジャーナである。<注343>中国語原文p324参照の事。
<注243>=《清浄之道・入出息念論》(Ānāpānassatikathā)(Vm.235)
<注244>=《蘊相応・定経》(S.3.5)中国語原文p53において、この経を引用した。
<注245>=《諦相応・定経》(S.5.1071)中国語原文p35において、この經を引用した。中国語原文p38<注38>で引用されている関連の經文を参照の事。