南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#37-7

表1b:意門心路(manodvāra vīthi)(色彩所縁を例にして)

●一個の心は、一個の心識刹那(cittakkhaṇa)をのみ、維持する。

生(uppāda)↑、住(ṭhiti)|、滅(bhaṅga)↓の三段階を含む。●一つひとつの心路の間には、多くの有分心が生起する(表1d:死亡と結生を参照の事。)

●意門心路の前は、一個の五門心路または、その他の意門心路である。

《以下は表1b。。<菩提樹文庫>PDF版にて挿入、公開》

「表1b:意門心路」に関する更に一歩進んだ説明

認知とは、一個の固定した順序を持ち、それは、心の定律(cittaniyāmā)に照らして、進行する。認知によって、物(色彩)を見る、という事柄を例に取る:<注277>

第一歩:眼門心路が所縁を「収取する」;

色彩を認知する。(表1c:五門心路、中国語原文p271参照の事。)

第二歩:意門心路が色彩を感知する;

過去の色彩を識知する、すなわち、眼門心路の所縁を識知する。

第三歩:意門心路が、それはどの様な種類の色であるか、を識知する。色彩の名前を知る。

第四歩:意門心路が、所縁の「意義」知る;全体の影像(イメージ)を見る、すなわち、過去の経験(想(saññā)から確立された概念である。

第五歩:意門心路が、判断と感受を行う。これが、真正なる認知の開始である。それ以前の意門心路の中において、速行心の思は非常に弱いものであるため、造(ナ)された業は、ただ、当期の生命期間(pavatti)においてのみ、果報を生じるせしめ、結生心(paṭisandhicitta)を生じることはできない。

第四個目の、意門心路から、概念が了知される:

「男性」、「女性」、「罐」、「スカート」、「金」、「銀」など。

また、当該の意門心路から、迷執(papaṅca)が始まり、業もまた、完成を得る。すなわち、一つひとつの速行心の中において、同一の所縁を縁に取る所の思(cetanā)心によって完成される。

如理作意(yoniso manasikāra)を経て、善業は、完成する。例えば:師長(指導者)、仏像、比庫を尊敬し、礼を尽くす;止禅業処を了知する;

観智でもって、諸々の行を無常(anicca)・苦(dukkha)・無我(anatta)または不浄(asubha)として照見する。

不如理作意(ayoniso manasikāra)を経て、不善業は完成する。

例えば、自我(私の存在、私のエゴ)がある、夫、妻、子供、財産などが真実に存在している、それらが、常(nicca)、楽(sukha)、我(atta)または浄(subha)である、と思う。

同じ所縁と想に対して、無数の意門心路(一系列の行(saṅkhārā))が発生して、心が新しい所縁に転向するまで、不断に認知を強化する。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>