Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~仏陀と凡夫

先日、ある会合にて、以下の様な会話がありました。

某老人(女性):

「(浄土系の教えでは)我々凡夫は、仏陀と同じ。

仏陀は我々凡夫と同じ。

だから、その様に思って、日々、暮しなさいといいますが、どう思いますか?」

私:

「我々凡夫と、仏陀が同じ存在なら、まぁ、おめでたいことですが、それは無理、というものです。

ゴータマ仏陀は、非常に長い時間修行して、正等正覚者になりましたが、我々と異なる所、仏陀は、<一切知智> を擁していることです。

<一切知智>とは、世の中(宇宙を含む)の、すべての事柄を知る能力、ではなく、[自分が知りたいと思うことは、すべて知る事のできる能力]、の意味ですが・・・

私たち凡夫には、その様な能力はなく、故に、過去を悔い、未来に不安になり、愁いに憂いて、争いが絶えない、のではないでしょうか?

それなのに、自分が仏陀と同じ精神的レベルにある、と思うのは・・・そう望むのは自由ですが、全く、現実的ではないでしょう」

「自分は凡夫であると自認した上で、少しでも仏陀に近づきたいと思うなら、その様に修行することです。誰でも仏陀になることはできます。その点では、凡夫と仏陀は平等です。」

「修行しないでも、極楽浄土に、生まれることができるという教えがありますが、浄土に生まれたいと思う人の心は、徹底的に、善良でなくてはなりません。

穢土において、徹底的に善良であり続ける努力、この事自体が、修行である、とも言えます。修行せず、気ままに生きて、浄土、天界に生まれることは有りません」

彼女、えらく納得した様子で、すっきりした顔で帰っていきました。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>