南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

般若の独り言~ありのままでいいのだ?

先日、ある方とお話しをしていましたら、突然、

「サヤレーは、(止観の)修行・修行と、口うるさいですが、人間、ありのままではいけないのですか?」

と聞かれました。

私は、この様に答えました。

「例えば、まだ小学生、中学生くらいの子供が、一生懸命何かにチャレンジして、失敗してしまった。

シクシク泣いているので、

『いやいや、あなたは、よく頑張りました。

あなたは、このままでいいのよ。

あなたは、ありのままでいいのよ』

と言って、励ますのは、有り、です。

しかし、大の大人が、貪・瞋・痴丸抱え、己自身の弱点・欠点(=悪業)を直視しないで、ただ

《ありのまま・ありのまま》

と呪文を唱えても、己自身も変わらないし、あなたを取り巻く(心理的)環境も、変わらないでしょう」。

大きくは、戦争や人種差別、男女不平等、貧富の差、陰湿ないじめ、小さくは、日常生活におけるイライラ、卑屈、傲慢等の感情のゆらぎ等々、今すぐ社会を変えたり、他人を変えたりすることはできなくても、仏法からヒントを得て、修行するならば、己自身の立ち位置、中心軸をよい方向へ持っていく事は、できる。

中国語の仏教書を読んでいて、

<人間は、ありのままでよいのだ>

などという文章に、寡聞にして、一度として、出会った事がありません。

なぜ、日本では、修行をしない免罪符として、

《ありのまま信仰》

が流行するのか、私には、ちょっと分かりせん。

私は、ゴータマ仏陀の提唱した、

<止・観瞑想(16観智)>を完成させた後、

無常・苦・無我と涅槃を知る <聖者> となった

その後に <ありのまま> に生きるのならば、

それは有り、と思っています。

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/

   Paññādhika Sayalay般若精舎>