Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(83ー2)(私家版)

3.12道分              (1)正見。(2)正思惟。(3)正語。(4)正業。(5)正命。(6)正精進。(7)正念。(8)正定。(9)邪見。(10)邪思惟。(11)邪精進。(12)邪定。。。。。。。。                     ここで言う「道」は、ある目的地に導く意味である(道路の様に)。即ち善趣、悪趣又は涅槃に導くのである。12道分の内、前の8個(即ち8正道と呼ぶもの)は、善趣と涅槃に導く。後ろの4者(邪見、邪思惟、邪精進、邪定)は、悪趣(四悪道)に導く。8正道は、世間的8正道と出世間的8正道に分けられる。世間的8正道は善趣に導き、出世間的8正道は、涅槃に導く。後ろの例は、例えば、ある人が強盗を企てており、彼は因果の応報はない、と考えているとしたら、これは邪見である。彼は先に襲撃に関する計画を立てるが、これは邪思惟である。行動している最中は邪精進である。銃でもって撃つときは、邪定である。この道分は、縮小すると9個の心所になる。正見は慧心所。正思惟、正精進、正念と正定はそれぞれ、有因善心と無記心の中の尋、精進、念と一境性心所である。正定と一境性は同じ意味である。正念は念心所、正精進は精進心所である。正思惟は尋心所、正語、正業と正命は3個の雑心所である。出世間心の中において一度出現し、世間善心においては、状況に応じて個別に出現する。悪語を意識的に遠離しようとする時、正語が生起する。意識的に悪語から遠離しようとしない時は、生起しない。4個の邪道分(邪見、邪思惟、邪精進、邪定)の内、邪見は邪見心所で、諸々の道分のなかにおいて、絶対的に不善の心所に属する。その他の3個の道分は、不善心所の中の尋、精進と一境性心所に属する。ここでは、個別の邪語、邪業と邪命道分はない。というのも、それらは煩悩によって引き起こされた不善行であるが故に。ここには又、邪念道分もない。というのも、念は絶対的に美心所に属するが故に、不善心所において現れると言うことはない。