Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(84ー4)(私家版)

もし、楽受が生起したのに、それを観ずる事がないならば、それに伴って「貪」が生起する。貪は、楽受の中に潜んでいる。もし、苦受が生起した時に、それを観じないならぱ、「瞋」が生起する。瞋は苦受の中に潜んでいる。貪が生起した時に覚知しないならば、口業又は身業を造す事になる。この事には、深い相関関係がある。この様であるだけではなく、もし、貪が生起した時に、貪を因縁法として観照しないのであるならば、貪を我のものと見做し、「貪は我の中にあり、我は貪の中にある」と思ってしまう。これは「有身見」であり、その時、我々は、更に己の有身見を強化してしまう。有身見が強化されると、人は執着を強め、愛欲が生まれる。愛欲は輪廻の根本であり、結果、輪廻を延長する所の業を不断に造すことになる。故に、楽受であろうが、苦受であろうが、不苦不楽受であろうが、一番目は正念でもってそれを知り、二番目には智慧でももってそれを無常又は無我と観じなければならない。というのも、それは因縁法であり、因縁法は我々のコントロールを受けないものであり、因縁が消滅する時、それも又消滅するが故に無我なのである。