Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

達磨大師と嵩山少林寺

インドの某国の王子であった達磨大師が、船で今の広東省に入り、その後、北魏嵩山少林寺に行き、ここに留まりました。。。。。。。。。。。              縁あって、慧可を弟子にして後、達磨大師を祖師とする、中国禅宗が始まりました。。。。                達磨大師の最初の弟子になった慧可は、〈弟子は取らない〉と言う達磨大師に、己の片腕を切り落としてその決意表明とした、という話が有名ですが、私が台湾て見た映画では、慧可は戦争で怪我をして、嵩山少林寺に行く前から、すでに片腕がなく、戦争で人を殺した体験から、PTSDに苦しんで眠れず、悩みに悩んで、達磨大師の門を叩いたそうです。。。                  達磨大師を訪ねて嵩山少林寺に行く事は、恋人も勧め励まし、二人で達磨大師の弟子になり、二人共、悟りを得ています。。。。。。。。。。。。。。。               達磨大師から数えて、5代目が弘忍で、6代目が慧能慧能から南禅(曹洞宗)が始まり、神秀の北禅は衰えて行きます。。。。              弘忍に請われて書いた、慧能の偈と神秀の偈では、明らかに慧能の方が優れています。それはアビダンマによる vipassanāの、16観智の、完成形の様です。。。。。。            達磨大師嵩山少林寺に入った頃、中国では、仏教はまだ哲学として認識されて、教養の一種、議論の対象でありましたが、達磨大師が【仏教とは悟りの為の、サマタ vipassanā の実践であり、哲学や教養として、議論するものではない】と教え、ここに、悟りを求めて座禅瞑想する禅僧が生まれました。。。。。。。。。               嵩山少林寺には私も行きましたが、<武闘僧が立禅したり、動禅したりする為に、道場の大理石が足の形に窪んでいる>と言う噂は、イヤ、本当でした……笑。。。。。。            追加1:少林寺のある嵩山の麓には、少林寺拳法を教える学校(寄宿舎付き)が林立していました。僧侶にはなりたくないけれど、少林寺拳法は習いたいという青少年が、大勢、ここで学んでいます。その多くは、アクション俳優を目指していると聞きました。。。。。。。。。。。