★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(41-11)(私家版)
人々は、時々この様に思う。仏陀はすでにこの世にいない。その為、経本の通りに教えたり、修行したりする事が出来ないと。我々は、導師がすでに去ったと思ってはならない。如来は、アーナンダにこの様に言った。 “ tumhākam evamassaーー ‘atītasatthukam pāvacanam, natthi no satthā‘ti. na kho panetam, ānanda, evam dattabbam. yo vo, ānanda, mayā dhammo ca vinayo ca desito paññatto, so vo mamaccayena satthā.“ “アーナンダ、もし君たちが以下の様に考えるならば ‘導師の教えは過去のものになった。もはや、我々の導師はいない。‘と。 ‘アーナンダ、この様に考えてはならない。アーナンダ、私が入滅した後は、私がこれまでに教えた法と律が、あなた方の導師である。“(《大般涅槃経》)。。如来は、その教えた所の法と律を導師とせよ、と言う。故に、我々は以下の様に思惟する(のがよい):法と律は尚存在する。それならば、即ち、導師は存在する。