『智慧の光』(9-1)<K氏依頼分>
(原稿P18)【訳注】…………………………………………………………………………31=ある種の人々は、北伝の“五停心観“に基づくのが、好きである。その為、慈心の修習(MtãBhãvanã)が、“慈心観“に変化してしまっている。しかしながら、上座部仏教に基づけば、慈心を育成する業処は止に属し、観ではない。そのパーリ語の正確な訳は、“慈心の修習“又は“慈心の育成“である。………………………………………………………… 32=極めて親愛なる人には、耐え難いという思いが生じ、多少の痛苦がある為、とする。
…………………………………………………………………………………… 33=これらの省察法に関しては、パオ・サヤドーの《去塵除垢》改定版を参照の事。 34=《漢訳南伝大蔵経・相応部》二。 35=これらの名称はそれぞれ異なるものの、すべて一切衆生を指している。 36=《慈愛経》の中に書かれている方法は、慈愛を散布する衆生を分類しないタイプ、二組に分けるタイプ、三組に分けるタイプ等がある。分類しないタイプは、一切の衆生、である。二組に分けるタイプは、衆生を弱者と強者(阿羅漢)に、見えるものと見えないもの、遠くに住むものと近くに住むもの、再生しない者(阿羅漢)と再生する者とに分けているものである。三組に分けているタイプは、衆生を、長い・中くらい・短い、大きい・中くらい、・小、太っている・中くらい、・痩せている、に分けているものである。 37=現今、パオ・サヤドーも又、通常は、悲、喜、舎(捨)無量心の修習を指導している。