是誰庵仏教談義~16>慙と愧(ヒリ・オタパ)
過日のブログで<川崎の事件についてはコメントしない>と書いたけれど、ちょっと一言。
今度の事件では、被害者の上村さんには何の落ち度もなく、全く100%加害者(主犯)が悪い、これは明白。しかし、この加害者、小学生の時は虐められっ子で、それが成長するにつれ、段々に自分より弱いものを標的にする不良になっていったそうです(インターネットのニュース)。
差別や虐め、無くしましょう!という掛け声は立派でも、しかし、この世から本当に差別やいじめをなくすことができるのでしょうか?
私は非常に、悲観的です(ヘイトスピーチ、差別用語を口にした事がない人、異民族、異文化に偏見ない人、手を挙げて。いますか~~?)
自己への肯定感のない人(自分を愛せない人)は、必ず極度に内向的になるか、攻撃的になります。そして、そのどちらもバランスを欠いていて、本人自身、また周囲に不幸をもたらします。
しかし、この四次元世界で、ちょうどよいバランス感覚(中道)で生きている人は、いるのでしょうか?イヤ、一人もいない。ただ各人、異常の程度が、軽いか重いかだけなのですね(自分も含め)。
ゴータマ仏陀は「五蘊は病」といいました。我々は身体と心を持って生きている、そもそもそれが「病」というもの。これをほとんどの人は認めない。よい仕事、富、名誉、美貌、家族が健康であれば、幸せは手に入ると思っている。
仏陀は、五蘊をもって生まれてきた事、五蘊を駆使して生きている事自体が<病>故に、そこに慙と愧(ヒリ・オタパ)が無ければならない、という。
この事が日常的にお寺で教えられていたら(学校では無理としても)、立ち止まって考える人が少しはいるかもしれないのに・・・日本の僧侶たち、ヒリ・オタパはどこへ行った?(葬式ばかりしていないで、生きた仏教を教えなさいよ!)。