南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-121

次に、精進波羅蜜について、以下のように省察する:

「十分な精進力が無い時、自分自身を生死輪廻から救い出す事

さえもできない。十分な精進力がないまま、菩薩道を修すると

発心した人は、どのようにして、衆生を救うつもりなのか?」と。

「無量の貪、瞋などの煩悩は、酒に酔った象のように制御しに

くく、これらの煩悩によって造られた業力は、死刑執行人が刀を

高く持ち上げて、我々をまさに処刑しようとしているのと同じだ。

四悪道の門は、我々の悪業の前に、永遠に開いている。

悪友は常に、自分の周りをまとわりつき、我々に悪をなすよう唆し、

そして、我々を四悪道に送り込む。

愚かな凡夫の本性は、これらの悪友の、よくない唆しに、軽々と

服従してしまい易い。故に、我々は、これら詭弁好きの悪友から

遠く離れているべきである。というのも、これら詭弁好きの人は、

常に間違った、かつ、理知的でない論点を持ち出し、

こういうからである:

『もし、生死からの解脱が本当にあるのならば、我々は、何らの

努力をせずとも、自然に、自動的にそれを獲得できるはずだ』と。

ただ精進力を通してしか、これらの間違った言論から遠ざかる事は

できないし、自分の能力に依って、仏果を証悟することができる

ならば、他に何が困難な事柄があろうか?」。

精進波羅蜜について、経典では、獅子王の比喩を挙げている。

獅子王の本性は、兎を捕まえる時も、象を捕まえる時も、最大の努力

をする。彼は、兎が小さい動物だから、小さな努力でよいとか、

象は体積が大きいので、兎より努力をする、という事はない。

この二つの事柄に対して、彼は、同等の努力をする。

この獅子王の態度と同じく、菩薩が精進波羅蜜を修習する時、

彼は、小事ゆえに、小さな努力をし、大事ゆえに、

大きな努力をする、という事がない。

任務の大小にかかわらず、彼は時々刻々常に、同等の、

最高の努力をする。

(+ )(= )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)