<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
なるべく速く第一、第二、第三、または第四禅を証悟したいと思うが故に、非常に多くの修行者は、(個人向けの)特別業処を、急いで修習しようとする。
彼は軽率にそそくさと「普通適用業処」を修習するか、またはまったく「普通適用業処」を修習しないために、禅の修行において、多くの問題にであう。
普通適用業処は、非常に重要なもので、それは、禅の修行において、修行者を保護するものであり、前行においては、修行者が五蓋の障礙を取り除く助けをするし、そのことによって、修行者が五蓋の障礙のない状況の下で、(個人向けの)特別業処を修習できるようにも、するのである。
慈心禅と仏随念は、初心者にとっては、(+修行の)過程における、「普遍適用業処」なのである。
現代人は多くのストレスを抱えており、禅の修行の時に、心が硬直しやすい。
慈心禅は、我々の心霊(=心)を柔和にしてくれる。我々が、柔和な心を具備した後、我々は順調に(個人向けの)特別業処を修習することができる。
外からの誘惑が多いため、現代人(+の心)はまた、混乱し、茫然としている。
前行において、仏随念を修習することは、我々の心をして、真正なる心霊の依拠する所と、立脚点を得られることとなり、(+それがあれば修行者は)禅の修習(+の目標に対して)、更に専注できるようになる。
多くの修行者に、修行における、一つの良好な基礎を打ち立てもらう為に、初心者の課程において、我々は普遍適用業処ーー慈心禅と仏随念について、深く研究し、討論する。
こうすれば、後々、修行者は、駄馬の方式で止禅の修習をするのではなくて、良馬の定の修習方式によって、止禅の修習をするという、保証ができる。
中級の課程(+を語る時に)初めて、我々は、(個人向けの)特別業処について、詳細に討論したいと思う。
◆結論:
(一)基礎が強固でないために、非常に多くの修行者は、定の修習を実践する時に、駄馬の定の修習方式に陥る。
(二)もし、修行者が普遍適用業処ーー慈心禅と仏随念を修習するのであれば、彼は、自然に良馬の定の修習方式でもって、定の修習をするようになる。
(4-21につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>