南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-23

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

●では、どのようにすれば、慈心の感受を育成し、育てていけるか?

慈心の育成と成長は、決して急いではならない。

最も重要な事は、衆生の真・善・美が見えるようになる事である。

●簡潔に言えば、「美」が見えれば、慈心を生起させる事ができる。

美は、決して一種の罪ではなく、瞋行者にとっては良薬になるものであるし、慈心を修習する時の、最も良好な助縁となるものである。

●もう一つの重点は、他人を愛する前に、己自身を愛することを、学ばなければならない。

●もし、己自身が、真実幸福な人間であれば、非常に自然に、(+その幸福を)他人と共に享受したいと思うものである。

幸福な人は、他人への関心も、持ちやすいのである。

●美を鑑賞し、己自身を本当に愛する事を学ぶ。

●花園を散歩して、きれいな花を鑑賞し、海辺に行き、山に登り、日の出を見、郊外に出て、野に遊び、湖で夕日を鑑賞する。

たまには己自身にご褒美を。

●鑑賞すると同時に、己自身をリラックスさせ、新鮮な空気を吸い、心内の悶々とした気分を吐き出す。

●休息する時、あなたは、あなた自身、すでに長い間、己という衆生に、関心を寄せていないことに気が付くであろう。

あなた、己自身である所の衆生は、どれほど深く愛され、関心を寄せてもらいたい存在であろうか。

あなたは物質の(+手当の)面においては、非常に多くのものを受け取ることができるが、心霊(=心)においては、大きな欠損がある。

●いわゆる<物質的な手当>も、デパート・商人たちの広告に過ぎない。実際、あなたは、あなたの身体の上において、色々、塗りたくっているだけであって、身体の内部は、むなしく空洞なのである。

●故に、己自身を愛するという事柄は、<休む>ことから始めなければならない。

生命の一部は、母なる大地の懐に、いだかれなければならない。

己自身を、大自然の美しい旋律の中で沐させ、小鳥の歌声、滔々とした波の音を聴く・・・憂いもなく、心配もない感覚を感受する。

●もし、ある日、あなたが己自身を、天真爛漫な一人の子供のように感じることができたならば;もし、ある日、あなたが愛されているという感覚を感受し、子供のように守られていると感じることができたならば、あなたは、あなたの慈心禅の修習の過程において、すでに半分は成功したのだと言える。

では、残りの半分は?

あなたは引き続き、あなた自身を愛によって潤し、灌し・・・一人一人の心を潤すまでに・・・家まるごと・・・町まるごと・・・すべての老若男女に・・・この愛があふれ出すまで、一日また一日と、成長していくようにする。

●これが慈愛ーー慈心禅である。

(4-24につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>