Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~南無南無

7月の始め頃から、週一で《老人向け体操教室》に通っています。

そこで、90歳になる老婦人と知り合いになりました。

彼女は親鸞上人がお好きで、浄土真宗の実践者だそうです。

私が緬甸で出家したサヤレ―だと知ると

「仏法の本質とは何ですか?」

と、なかなか手ごわい質問を頂きました。

その方が、先日

「私は近年、年をとって身体の動きが鈍くなり、その上、足を骨折したので、今では何もできなくなった。

せつない」

とおっしゃるのです。

私は

「貴女は真宗信徒でしょう?

ならば、どんな時にも、南無南無ができる。

どんな時でも、南無南無だけは、できる。

それが幸せ、と思えばよいのでは?」

と申し上げました。

それを聞いて、彼女は「はっ」とした様子で、

「家事ができなくても、農作業ができなくても、南無南無ならできるわね」

とつぶやきました。

その時、心なしか、少し笑顔が戻った様に思いました。

人は、健康に留意し、老人病の予防に努力はしても、それでも、認知症になる場合もあれば、寝たきりになる場合もあります。

息子やお嫁さんに、下の世話になったりするのは、プライドが許せなかったり、つらい事もあるかも知れませんが、仏教者なら、少なくとも、南無南無がある・・・

私なら、安般念(出入息念)、正念と正定、サマタ・vipassanā という目標、拠り所があります。

若い頃は、外部の出来事、社会の出来事に興味があって、心は外へ外へと向かいますが、今、落ち着いて、心を内側に向けてみた時に見る風景、それこそが、本当の私、無我なる私の発見、になるのではないでしょうか?

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>