Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~心の弱い者

先日、老人向け体操教室で、ある人から

「宗教なんて、心の弱い人が嵌るのよね」

と言われました。

私は反論しませんでした。

宗教は、彼女の指摘する、そういう面もあるかも知れません、特に、占いや予言など、不確かな情報に頼る人は<心の弱い人>と呼ばれても、仕方ないかもしれません。

ただ、私は「仏教、特にパーリ仏教(原始仏教)に出会って本当によかったな」と思います。

今、『親知実見』を翻訳していますが、

仏陀

[色(色彩、光)があなたの網膜を衝撃する時、眼識、受想行が生じ、(結果、モノとコトに固有の本質が内包されていると誤解して)モノとコトへの執取(執して取り込む)の心が生じる・・・]

という説明には、もう心底、痺れます・・・

私は、好きなタレントとかスターとかないですが、仏陀

アビダンマに痺れますね(笑)。

私は子供の時から仏教が好きで、生まれて最初の記憶(3歳の頃)が

「私は今度は女の子に生まれてきた

(しまったな。前世は男性だったので、今回女性として、上手に生きていけるか心配だな)」

「(輪廻の途中での)今生の父母兄弟と築く家庭は、私にとっては、仮の宿だ」

というもので、5歳の時に

「お釈迦さま」という言葉を聞いて(『お富さん』という当時流行した歌謡曲の中のフレーズの一句なのですが)

「大きくなったら、この人の事を勉強しよう。

遊んでいる場合ではないぞ」と決意した(初発心?)、

こういう動機で仏教を学ぶ私は、弱い心で仏教に向かった、という訳ではありません、が、では、私の心は常に強いかというと、そういう訳でもなく・・・、

ちょっとした病気でも、すぐに病院に飛んでいく私、ちょっとした悪口にめげる私は、心が強いとは言えない・・・ですよね。

心の強い人も、弱い人も、仏陀の教え、仏陀のアビダンマは人生の処方箋として有効である・・・私はそんな風に思っています。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>