Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#31-6

もし、禅修行者が有分を涅槃としてとらえるならば、この観念は、彼が涅槃への道に進むのを阻む「巨石」となる。もし、この巨石を取り除かないのであれば、彼は涅槃を証悟することができない。

何故、この種の観念が生じるのか?

非常に多くの禅修行者は、弟子(sāvaka)は、仏陀が教えた名色法を理解することができないと思っており、故に、彼らは、仏陀の教え、例えば、名色法及びその因を識別するための、充分に重厚な定力を育成する必要がないと考えている。

故に、彼らの定力は非常に弱く、有分心はなお、生起する。もし、故意に有分に落ち込む練習をするならば、彼は、その目的を達成する事は可能であるものの、それは涅槃ではない。

涅槃を証悟したいのであるならば、我々は、七清浄を順序よく修習しなければならない。

もし、究極名法、究極色法及びそれらの因を了知しないのであれば、涅槃を証悟することはできないのである。

<翻訳文責:緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>。