翻訳『親知実見』#43-3
問6-4:禅修行者は、入出息念から無色禅(arūpa-jhāna-samāpatti)に入ることはできますか?
または、慈心禅に転換することはできますか?
答6-4:禅修行者は、入出息第四禅から、直接無色禅に入ることはできない。
なぜであるか?
無色定、特に空無辺処禅(Ākāsānañcāyatana jhāna)は、
遍相を除去することによって成就されるからである。
遍相を除去して、残された空間(ākāsa)に専注した後、空無辺処禅の所縁は、ようやく発現する。
禅修行者に、当該の空間が見えたならば、それを徐々に拡大していかねばならない。それが各方面に拡大された時、遍相は消失する。禅修行者は、更に進んで、当該の空間を、無辺の宇宙にまで拡大しなければならない。これが空無辺処禅の所縁である;
そして、それ自身(禅心)は、また、識無辺処禅(Viññāṇañcāyatana jhāna)の所縁である。
そして、空無辺処禅心の不存在は、無所有処禅(Ākiñcaññāyatana jhāna)の所縁であり、無所有処禅心はまた、非想非非想処禅(Nevasaññāyatana jhāna)の所縁である。
こうしたことから、四無色禅は、みな、遍禅の第四禅及びその所縁であることが分かる。遍相を取り除かないのであれば、無色禅を証得することはできない。
故に、もし、禅修行者が、入出息念によって第四禅に到達した後、続いて無色定を証得したいと思うのであれば、彼は先に十遍(限定虚空遍を除く)<注239>の一つを修習して、第四禅に到達しておかねばならない。
この様にして初めて、彼は無色定<注330>に入ることができる。
もし、彼が、入出息第四禅から、慈心(mettābhāvanā)の修習に転換したいと思うならば、彼は、その様にすることは可能である。問題は無い。
彼は、入出息第四禅の光を借りて、慈心の所縁として決めたその人を照見しなければならない。もし、彼の光の強さが足りない時、多少問題が出現するかも知れないが、この種の情況は、あまり多くない。
もし、遍禅の第四禅を証得した後、特に白遍第四禅の場合、彼は、非常に速く慈心ジャーナを成就することができる。
この様なことから、我々は、慈心を教導する前に、先に白遍の修習を教導するのである。<注331>